たぬきのたからばこ

宝の箱か 空箱か。母になるってどんなかんじ?を追って

私の、私による、私のための育児絵日記

ノートを1冊使い切るのが苦手だった。

小さい頃から何か書いたり描いたりするのが好きで、今は恥ずかしくて見返したくもないがお話を書いたり4コマを描いたりしていた。しかしいろんなノートに意気込んで書き始めてはすぐに飽きてびりびりに破いてしまったり、中途半端に使って真っ白なページが残ってしまったり、そんなのばっかだった。

お気に入りのノートであればあるほど、ちゃんと書ききらなければ、という謎のプレッシャーがのしかかった。

 

そんな私が、先日お気に入りのノートを使い切ったぞうれしいなという話。

 
キモリのノート

蔵前にある文具屋、カキモリでオリジナルノートを作った。かれこれ4年前のことだ。

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 オリジナルというからには、表紙、中紙、留め具・・・すべて自分好みに選ぶことができる。それはもうあれこれ悩みまくったよね。

▼これこれ、わくわくする〜

kakimori.com

当初はスタンプ帳にするつもりでいて、裏うつりしない分厚めの紙を選んだのだった。

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けど、スタンプを押す位置が難しいし失敗が目立つしで、結局5ページほど埋めてそのまま放置していた。

 
育児絵日記を描き始める

月日は流れ息子が生まれた。そして毎日の授乳や排泄などを記録する育児ダイアリーのメモ欄にかんたんな絵を描くようになった。入院中にやさしい看護師さんが見て「わ〜、似てますね〜!」と大げさにほめてくれたの、うれしかったんだよな(実際は似ても似つかぬガッツ石松)。そのうち育児絵日記などのハッシュタグを知り、TwitterInstagramにアップし始めたのだった。

▼めっちゃなつかしい。

▼ツイオフに参加したりね。Twitter上のママ達はやたらに絵がうまい人がうじゃうじゃいて、見ていてたのしい。

 

1歳を過ぎて育児ダイアリーも終わり。せっかくだから記録は続けたいなと思ったところでカキモリのノートの存在を思い出した。ちょうどいいじゃん!

 

▼現物はこんなかんじ。

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育児ダイアリーよりものびのび描けるようになり、やっとこのノートが活用法を見出すことができた。パチパチ。

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▼ちょっといい思い出感が出るような。

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▼あっけなく迎えた最後のページ。

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気が付けば、私にとって大事な思い出がこれでもかと詰まった1冊のノートが出来上がっていた。

 

育児絵日記を描く理由

毎日毎日、できる動きが、おしゃべりが増えていく。

あれ?そういえばいつからこの言葉言いはじめたんだっけ。歩いた時期なんかは覚えていられても、ほんとに些細な出来事はすぐに忘れてしまう。

もちろん写真や動画は正確な記録として素晴らしい。しかし残したい言動をカメラでキャッチし損ねることも多いし、カメラロールもぱんぱんになって現像が追いつかないしでどんどん埋もれてしまいがち。

絵に描いたことはよく覚えていられる。その時の服装や、幼子独特の指の動きやもちゃっとした手足の質感なども含めて。

絵は何を描くか、どこの部分を強調するかが写真よりよっぽど恣意的なところも面白い。妄想も描ける。上手い下手はさておき、どんな風に見えてるのかがその人らしく表れる絵で残しておくのもいいもんだ。

 

あとこれは単なる愛情の押し付けだが、後の息子に向けた、母ちゃんは君をしっかり見ていたよ、こんなに君を思ってたんだよアピールでもあるかもしれない。

子どもができてから以前よりよく考えるようになった。

「もし私が今いなくなったら…」

という想像。

先日妊婦健診で先生に「健康そのもの!」とお墨付きを頂いた私と言えども、いつ何が起きるかはわからない。病や事件事故天災…トラップはいくらでも仕掛けられている。

私が今いなくなったらもちろん夫も大変だし息子にさみしい思いをさせてしまう。

しかし母のエゴ的にいちばん信じたくないのは、こんなに四六時中一緒にいる私の記憶が、1歳の息子には残らないってこと。

そんなの、かなしすぎでは…!?

万が一そんな悲劇が起きてしまった時のためにも、せめて、こんなに母ちゃんは君を愛していたよ、幸せだったよということを精一杯残したいのだ。皆それぞれの形があるだろうが、自分の場合は絵に残すくらいかなと思うのだ。

子どもがいない時の私がそうだったように人の子どもの話にさして興味がない、さらには嫌悪感すら抱く人もいるのはこの幸せだよアピールが苦手というのがあると思う。

そりゃ楽しいとこだけかいつまんで描いている。実際は毎日つまらないことでイライラしてはぁまたやっちまったと反省して、そんな繰り返し。けど絵日記くらい振り返って幸せになれるような、そんな良い思い出で塗り固めさせてほしい。そして長生きをしたのなら、ゆらゆら揺れるロッキングチェアに腰掛けて目を細めてこのノートをめくりつつ、老後を穏やかに過ごしたいものだ…。

 

しかしまあ個人的に絵日記を描くのはいいとして。息子が寝ている間のかりそめの自由時間で、誰が楽しみにしているでもない育児絵日記をわざわざスキャンしてスマホでちまちま色塗って黙々とネットの海へ放り出す作業中は、私一体なにやってるんだろうな???という気持ちになる。しばしばなる。

別にクオリティの高い漫画が描けるわけじゃない。珍しいイベントが起きるわけでも、面白い展開があるわけでも、役に立つライフハックを紹介するわけでもない。カキモリのノートを作ったころの私だったら絶対こんな絵日記興味ない。

何のために?

わかりきっている。やっぱり私のためでしかない。

自分だけでこそこそ描いていても続けられなかったはず。人様の目に触れることを想定して描いて、誰かがたまにいいね、と言ってくれる場があったからこそこんなに記録できたんだ。やっててよかった、現代に生まれてよかったイエイ!

 
これから

子どもとべったりいられる時間は限られているし、そもそもこんなに日々の成長がめまぐるしいのも数年の間だけだろう。2人目が生まれたらどんな日々になるのか想像つかないけど、合間をぬってできるだけ記録していきたいな。

そしてこれからは夫が誕生日にくれたノートに描こうと思う。

2冊もらったので、夫に見られたらちょっと恥ずかしい育児以外の絵は分けて描こうと思う。

 

▼たとえば、虹プロとかね…(マユカ推し)

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