もうラララには逃げない
父の四十九日の法要が終わった。
一週間ごとに不動明王、釈迦如来…と錚々たる師匠のもとで修行を積み、仏になったのだそう。おつかれさまです。
父との別れを経て思うことはたくさんあったのだけれど、自分が今後できることとして強く思ったのは、
プラスのことは特に、素直に言葉にして伝えよう
ということ。
真新しくもなんともない、たぶん誰もが死ぬまでのどっかでしみじみ思うんだろうなって話ですが。私の場合は今でした。
言葉にすることは勇敢
私は口数が多いほうでは決してない。
皮肉でもなんでもなく、おしゃべりな人ってすごいなといつも感心する。
まずは単純に私の頭の回転が遅いから。アッ…と考えているうちに自分のターンを逃しがち。そのおかげで何か思慮深そうに見えて得をすることもあるけど、それはごめんなさい実際はぼーっとしているだけです。
それと、勇気があるなと思うから。言葉にすることは取捨選択をすること。背景にある言葉にならなかったモヤモヤした部分をばっさばっさと切り捨てていけるのは良くも悪くも勇敢だ。
100パーセント絶対にこう!と言い切れることってあまりない。育児のやり方だとかもそう、人それぞれだよね~と言ってしまえばだいたいそれまでである。
自分のことですら、食べ物は何が好き?と聞かれても正直「その日による…」。
本当のことだけを言おうとすると、結局何も言えない。
でもそれでは会話にならない。だから「好きな食べ物→ねぎとろ!」と昔から頭に叩き込んでいる。おそらくもっと好きなものあるんだけど。ブラックサンダーとか雪見だいふくとか歌舞伎揚とかね。
話が逸れてきた気がするな。
プラスのことを伝えるのに私に必要なのは気恥ずかしさに打ち勝つ勇気だ。
夫にはわりと伝えられているけれど、父にはどれだけ伝えられたか。
ただいまが言えない三女は社長のように
小さな餅菓子屋で一本100円しないお団子を売り、3人の娘を育ててくれた父。
いつだって体をぼろぼろにしながらも、私たちの送り迎えをしてくれたなぁ。
「携帯に連絡しろ。」と脅迫文のようなメールが来て(声に出すともっと明るいテンションなのだが)、家から徒歩10分もないような距離のバス停まで、雨の日や終バスを逃すと駅まで迎えに来てくれた。飲み会の日なんかはそれが窮屈でもあり、タクシーで帰るからほんといいのに…と思った。
この間、親戚から父が娘たちのことをどう話していたかを聞いた。
車で迎えに行くと、3人それぞれ違っておもしろいんだよと話していたらしい。
長女が一番機嫌よく入ってきて、
次女は穏やかに入ってきて安心感がある。
そして三女は社長のように入ってくる。
どうも私が社長です。「ただいまー!」とか「ありがとー!」がなぜか気持ちよく言えなくて、きもーち深めに会釈をして乗り込み、道中も特に話しをするわけでもなく、車を降りるときにありがとうございました…とごにょごにょ呟くのが精一杯だった。可愛くなさすぎだろうが。
ていうか「ただいま」って言えないのなんなんだろう。同じような人いるのかな。これは夫にやばいと心配されるけど、帰ってきた側がただいまなのかおかえりなのかとっさにわからなくなるくらい出てこない。
確実にその言葉を言うべき間があるのがわかる。言った方が絶対に気まずくないのに。「お父さん」「お母さん」も同じ類で言えない。「パパ」「ママ」から移行するのがなんとなく気恥ずかしく、ついに言えないままアラサーになってしまった。
「ありがとう」以前にこんなレベルだから、姉の結婚式を見ながら、自分にハナヨメという大役ができるんだろうかと不安だった。
だって両親への手紙なんて!こっぱずかしすぎる。
だけど、やっておいてよかったと心から思う。
気が進まない人ほどやった方がいいね。さらりとできてしまう人はきっと、日頃から伝えられる人なんじゃないかな。
母の不満
1月に父の葬儀は滞りなく終わったのだが、母は1つだけ不満があったようだ。
それは父へのメッセージ。もとの文章を参考に母が考えたものを司会のひとが読み上げたのだが、最後にお願いしていない余計な文章が付け加えられていた。
「普段は恥ずかしくて言葉にできなかったけれど、あなたの妻で、、(ひと呼吸おいて)よかった」
それはそれは独特な間で、しんみり感を演出してくれたのだった。
母のぷんすかポイントは
「普段から言ってたんだけどな!!!」
というところ。
たしかに夫婦喧嘩らしい喧嘩も見たことないし、「最期は一緒に雪山で…」なんて話をしているふたりだった。父が風呂上り母に背中を掻いてもらいながら、「いい妻を持って幸せだ~」と言っているのもよく聞いた。
葬儀屋さんに「まぁどこの夫婦もこんなもんだろう」とストーリーを仕立て上げられたのは癪だろうけど、そんなふうに怒れるくらい思いを伝えられていたのはすばらしいことだ。
別れは突然やってくる。
あなたに会えて本当に良かった、と心から思って、
うれしくて、うれしくても
言葉にできなくてラララに逃げてしまっては何も伝わらないのだ、小田さん。
(でも名曲なので葬儀のBGMで流しました。ほんとはラララが逃げだなんて思ってないです。)